内藤です。

日本語を使えない端末や、日本語変換のキー操作を厭うために、
日本語表記を避けるというのは、いずれも日本語機能を必要としない
ことを主張することになると思います。
少なくとも、ソフトウエアを普及させようとするとか、プログラムを産業の
手段とするなどにおいては、このような必要性を感じませんでしょうか?
ここで議論する方は、みな相当に訓練されている方ばかりだと思いますから
英数字だけで意味のわかるプログラムを書けることを知らないはずはありま
せんし、DFDやERなどだけでなくUMLあるいはPADなんてのも知っていると
思います。いずれも日本語を入れて書く場合があって良いと思います。
もし、話の拡大をお許しいただけるなら、もともと計算機を日本で導入したこ
ろから、日本語を扱うことができるように努力したことは、そのような必要が
あったからであり、おっしゃるような論理だけの世界でお話をしていれば
そのような努力すらされなかったと思います。
DOS/Vマシンと呼ばれてPC98からシェアを奪ったのも日本語を扱った
結果であることは、皆さんも知るところなのではないでしょうか?
だからといって、英米人がすべてプログラムを理解可能だとは言いませんが、
テーブル名・フィールド名・変数名・関数名などの名前だけでも母国語で表現
されていれば、一般の目から見ても見やすかったり、初心者でもなじめやす
かったりするのではないでしょうか?
これらの名前は、システムにとっては変数でしかないはずなので、基本的な
論理に影響なくシステムの変更が可能なはずです。ましてや、プログラム内
の変数値として多バイト文字を扱うことは、メモリの並び順序とか区切り検出
のシステム挙動だけが問題になるだけで、プログラム記述としての論理性を
変更すべきでないというのは誰でもわかっています。すなわちこれは、どう
日本語を扱えばよいかという仕様を暗黙に決めており、それを前提として
いるからこそここまでの議論があるので、それを否定してしまったのでは
このような事実をすべて否定することになってしまいます。

Tomoyuki Ishino wrote:
石野です。こんばんは。

#どこにつなげるか迷いました。。

* [mysql 07199] Re: 日本語項目名やテーブル名について
* ML account <ml@argus.ne.jp> wrote:

  
 大体、ドキュメント性の価値というものを過小評価あるいは無視するという、
特に日本のソフトウェア産業の性向が、この手の議論の素地になっているのだと
思いますね。あるいは、その様な管理手法を導入するまでに至っていない日本の
ソフトウェア産業の実態、なのかもしれませんが。

 パースペクティブの違いが根底にあると思いますね。システム構築や運用にお
いて、ドキュメント性の向上がどれだけのトータルコスト削減に対する寄与をす
るのかを一度真剣に考えられては如何でしょうか。

    

なぜ物理名を日本語でつけるということに、それほど「ドキュメント性」なるもの
を主張されているのか、理解できません。
英数字でも十分意味合いを推測可能な名称はつけられますし、
論理設計レベルでDFDとかERとかの資料は作成されないんでしょうか?

DBは結局バックエンドですし、当初予定していなかった種類のクライアントや
ツールからアクセスされることは十分あり得ます。
柔軟なシステムを創るために英数字のみを使うというのは、現時点では自然なこと
だと思います。

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Tomoyuki Ishino





  

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 Yusuke Naito 内藤祐介
 Artificial Life Laboratory, Inc. (株)人工生命研究所
 E-mail:naito@alife-lab.co.jp URL:www.alife-lab.co.jp